スーツケースに全て詰め込んで
気が変わらないうちにここを離れるよ
BOØWYの『MEMORY』という曲の歌詞の一部である。
まさに今このような気持ちであって。
落ち着いて来たので想いを文章に起こす。
大学に入ってすぐに知り合った友達に誘われるがまま委員会に入った。それまでの僕は委員会という組織に何故か嫌悪感を感じていた。
理由も自分ではよくわかっておらずひたすら嫌っていた。
何かに対してまじめに取り組んでいる奴らをどこか冷めた目で小馬鹿にしていた自分がいたのかもしれない。
ちょっと普通の人では味わえない底辺の高校生活を送ってきた僕だから、何かにまじめに取り組んでいる人たちがキラキラと見えてた反面どこか羨ましさと妬みがあった。
断れない性分の僕はあれよあれよと誘われて嫌悪感しか抱いていない委員会に所属してしまったのである。
嫌いなものに触れてみる経験もしてみないとと思いすぐさまやめることはなかった。
委員会の中でも有志でやる企画も僕は先輩のゴリ押しや虚言で入らされる始末でなんとも残念なスタートだと思っていた。
でもこれが今後僕がたくさんの人と関わり、1つのことを創り上げるスタートでもあった。
この時の僕は思ってもいなかった。まさか後々この有志の企画を仕切る立場になり委員会諸々のことも仕切る立場になるなんて。
続けていくうちに1つの感情が芽生えた。
この委員会やべぇなんとかしないと!って。
その感情が芽生えた時にはもう既に自分は様々な役職に立候補していた。
役職に就けば自分が今までに味わったことのない苦労や悩みがどんどん襲って来る。
その経験が自分では楽しい部分でもあった。
高校の時の僕は何事においても怠惰で、めんどくさがりやで、休日のiPhoneの万歩計なんて二桁が当たり前だった。恐らく便所の部屋の往復しかしていないだろう。
そんな生活ばかり送っていた自分なのでほんとに新鮮で充実した毎日だった。
この組織にいて沢山の方々に出会った。
大半の人はいい奴だった。大半の奴は。
中には悪い奴もいた。悪い奴の大半の原因は自己中だと思ってる。
そういった奴の対処法も学べた気がした。精神面が追いつかなかったからまだまだ修行はいるようだが。
感謝や謝罪の気持ちをたくさん伝えたい。
そしてこの組織にも恩返しがしたい。
色々な話を聴いてくれた高校の時の友達や中学の時の友達にも。
こんな生活送るなんて僕も想像していなかったし両親にも驚愕していた。
そんな両親にもたくさん感謝せねばならぬ。
ありがとう。これからもよろしくと。
その両親の車を先ほど盛大に傷つけてしまった。
初心者マークはまだまだ外せないようだ。
サラバ、またいつの日か。