気付けばホラ‼︎
僕の中にあるいくつかのモノは
もう過去と比べられて
ONE OK ROCKの『20 years old』の歌詞である。
この歌詞をボーカルのTakaは当時20歳で書き上げたからすごい。この時から今でも健在なカリスマ性は出来上がっていたのだと思う。
居酒屋でアルバイトをしていた時。人によってはそんなことでイライラしてたら寿命縮むよ?と言われてしまうだろうが僕にとってはとてつもなく許しがたいこと。
それは、お客さんに「おい、にいちゃん!」と呼ばれること。
店員とお客さんというその場の関係があるのは重々承知なのだが、一時的なものであれタメ口で喋りかけられることでさえ苛立ちを覚えてしまう性分なのだ。呼称を"にいちゃん"とするお客さんだけは本当に許せない。
"すみません"と声をかけるか手をあげたりしてアピールするという店員を呼ぶのには様々な方法がある。
そんな中でも"にいちゃん"と店員のことを呼び、結んだ覚えもない血縁関係を突然露呈されたかのようなシチュエーションが成立することに怒りを感じる。
こんなことを難しそうに書いてるなんてしょうもないと言われるかもしれないが、しょうもないという事実も重々承知である。
間違いなくエネルギーの使い所がおかしいと自分でも感じつつも、冷静に怒りを分析する時間を設けてみた。
この怒りは歳をとれば解決するものなのか?
はたまた自分の沸点が極端に低いからなのか?
しかし答えに辿り着く事はなく、いくら高齢の方にもタメ口で"にいちゃん"と呼ばれる事に躊躇ってしまい、同時に怒りが湧き上がってくるのは変わらなかった。
数日前の話。年季の入った外観の蕎麦屋に立ち寄った。そこの店主はかなりの老齢だったが物腰柔らかな接客態度をしていた。
注文しようと手を挙げると
「お兄さん、今日は何食べる?」
これだ。
勝手な解釈による答え合わせに成功した。
"にいちゃん"を"お兄さん"に変えるだけでこんなにも、ましてや店員とお客さんという立場を考慮しても会話が自然に受け入れられた。
この会話の振り方は相手が自分より年下の男性でも許せる。
馴れ馴れしさの基準値として自分が設けてた線がやっと理解できた瞬間モヤモヤが消えた。
言い方や態度の問題など他にも考えなければならない点もあるだろうが、同じ意味合いとして使っている呼称を少し変えるだけで聞き手側の気持ちがこんなにも楽になるという日本語マジックに感嘆とした最近だ。
モヤモヤが消えた暁、蕎麦を美味しく食べていると目つきが悪く店内に入るなり大声でケータイ片手に会話をしている作業着を着た中年男性が現れた。
「おい、じいさん!いつもの蕎麦時間ねぇからはよ作ってくれ」
モヤモヤが2倍に膨れ上がった。
サラバ、またいつの日か。