ありったけの金を握りしめ 泥だらけの靴で飛び出した
BOØWYの『"16"』の歌詞である。
久々のBOØWY。
自分が16歳の時こんな歌詞のこと考えてすらいなかったと回想。
前述の通り、ふと10代の時自分が何をしていたか回想していた。
昔から窮屈な環境で考える時間を強いられることがとても苦手であったため、テストが本当に嫌いであった。
問題に対して答えを導き出すのに沢山の考察を捻り出す。
その行為をたった1人机の上で繰り広げている。
それが大きな教室という箱の中で何十人とそれぞれのパターンがあり、あらかじめ答えが用意されている答案用紙を埋めていく作業をし、点数化され比べられる。
はるか高い逆らえない何かに抗いつつもただ従うしかなかったことが窮屈だった。
答えが決まっていることもそもそも理解できなかった。
その割には世間でありふれている言葉にはよく「人生に答えなんかない」
とかいう謳い文句をよく耳にする。
だったらなぜこんな幼い頃から人間は答えを求める作業を繰り返すのだ。
こんなしょーもない事を考え続けていた10代であった。
その頃の俺に言ってやりたい。
そんなこと考えるプライドを早く捨てろ。
後々苦労するぞって。
あとテトリスをしている時間がとても好きであった10代だった。
ご存知の方が多いだろうがピースをストックできるシステムがある。
それを使用せず、どこまで行けるのかという無駄なプライドと謎のストイックプレイに挑戦していた。
最近また時間があるとテトリスをやるのだが、そのストックシステムが本当に役に立つ。
無駄な縛りは時に自分を苦しめ成長を止める材料になる事を学んだ。
プライド捨てられたらラクだなぁ。
サラバ、またいつの日か。