人の不幸が大好きさ
BOØWYの『MORAL』という曲の歌詞である。
初期の頃の曲なので荒れ狂った歌詞だ。
年明け早々不幸の連続であった。
人間関係はぐちゃぐちゃになるわ色々あって金は飛ぶはキャベツ買って食べたら針金が入ってて舌に刺さるわと。
不幸ポイントというものがあるのならば天体望遠鏡辺りと交換できているのではないかと思う。(進研ゼミシステム)
ある一定の周期で人は不幸に見舞われる。
浅い人生ながらもこれは実証されている気がする。
人は誰しも幸せを手にしたいと願っているであろう。幸せしか起こらない世の中にしたいものではあるが実際そうはいかない。
幸せと相対して存在するのが不幸であるからだ。
恐らく幸せしか起こらない世の中であるのならそれを幸せとは思わないはずだ。
不幸という絶対悪がいるからこそ幸せというものを感じるのである。
しかしながら不幸が立て続けに起これば人は心が折れてしまう。
いくら鋼のメンタルの持ち主であろうが流石に不幸が連続して起こるとテンションぐらいは下がるだろう。
不幸が立て続けに起こり、人生に悲観し、そのままこの世を絶つ者もいる社会だ。
こいつと仲良くやっていく方法はあるのだろうか。
そんな時に出会ったのがさっきのBOØWYのモラルという曲だ。
人間は幸せになりたいとほざきながらも人の不幸が大好きである。
そんな不幸が大好きな人たちに対して不幸話を提供してあげればいいじゃないか。
自分の不幸話を笑いに変えればいいのだと。
それに気づいた僕は自分の身に起きた出来事をボヤくように笑いに変えるようにするのであった。
引かれるような不幸話は提供したらダメだよ。
サラバ、またいつの日か。