風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで 他人と同じような幸せを信じてたのに
スピッツの『楓』の歌詞である。
この愛くるしいおじさんたちは様々な名曲を残しつつも、今もなお独特な世界観を保ちつつ、自分たちの色を変えない姿勢が素晴らしい。
ふとした出来事を綴る。
ある日パック型のアソートゼリーを食べていた。
8個入りの。
一つ一つが小さいのでフタを開けてすぐ口元に運び一瞬の吸引力でゼリーを全て吸い尽くす。
最後の8個目を食べようとフタを開け、一瞬で吸い尽くそうと口元へ運ぶ。
ここで作用される吸引力など一定のものだ。
しかし、8個目という最後の最後で底の方に少しゼリーが残ってしまった。
ここまでの7個は流れ作業のようにすぐに食べることができていた。
だが8個目にして思わぬ状況に陥ってしまい些細なことだとわかっているにも関わらず動揺してしまった。
こんな数分間の出来事だったが様々な日頃当たり前のようにしている行動に対してちょっとしたイレギュラーが発生した場合、余裕を持って対処できるのかと不安になった。
いつだって"余裕"のある人間になりたい、そう思いながら人生を過ごしてきたつもりだったが当たり前の日常を破壊された時、その人がどれだけ"余裕"を持って行動できるのか問われる瞬間だと思う。
その"余裕"とやらはどうやったら生まれるのか。
大きな暗闇の中、手探りで物を探すかのような壮大な疑問の答えに辿り着くには時間を要する。
でも、この探している間の時間と探そうとする努力が人を成長させているのかもしれない。
何事も己が納得する答えに辿り着くには時間と努力がいる。
それをすぐに見つけ出す人もいれば何年も何十年もかかる人もいる。
いずれにせよ答えを見つけ出す姿勢がいるのかもしれない。それはチャレンジでもある。
余裕のある人間は常にチャレンジし続けているのだろう。
チャレンジする余裕さえそこにはあるのだから。
そんなことを考えながら底にたまった少しのゼリーを必死でほじくりだしていた。
サラバ、またいつの日か。
そんな風にそんな風に
僕は生きたいんだ 生きていきたいんだ
- アーティスト: 樋口了一,本田優一郎,河野圭,岡本洋
- 出版社/メーカー: インディーズ・メーカー
- 発売日: 2003/11/21
- メディア: CD
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今でも絶大な人気を誇る北海道ローカル番組『水曜どうでしょう』のテーマソングである。
この番組が全国区にまで人気を博したのは企画内容も勿論だが、このテーマソングも一つの所以ではないかと思う。
人は寂しさの限界値を超えるとあらゆる事象に物言いをする。
近年のネットの普及により言論の自由を匿名で行使する人が続出している。
ワイドショーやネットニュースが取り上げる事柄に対して多数のコメントが押し寄せられているのを目撃する。
その多くが求められてもない正論を述べようと必死で自分たちの持論を掲げ、様々なユーザーと議論をしている。
しかし、その多くの議論が解決に導かれている姿もなく、時と共に追加されてゆく莫大な情報の中に埋もれ、淘汰されていく。
面と向かわないという点を大いに利用し、憶測や想像で人物のイメージを決定付け、品行方正とは程遠い言葉遣いを繰り広げている多くのコメントを目の当たりにすると、悲しい気持ちでいっぱいになる。
だが、一つの事象に対して多数のユーザーが閲覧し、言葉を交わす世界は決して悪いことではない。そこから生み出されるアイデアやイマジネーションはまた新たなものを創出する。
しかしながら、昨今のものは人を傷つけるだけの議論が多すぎる。いかに会話の中でマウントをとり、論破するかということしか考えていない気がする。
きっとそんな議論を繰り広げている人たちは何も考えずに人を傷つける発言をしているんだと思う。
なぜそのようなことをするのかは寂しさという感情が関係しているのではないかと勝手に考えている。てかその考え方が一番落ち着く。
相手をしてほしい、構ってほしいという感情が無駄な議論をすることによって埋められる感情なのかもしれない。
みんな寂しがり屋だ。だからたくさん構ってあげてほしい。でも人を傷つけない程度に。
サラバ、またいつの日か。
「誰かの記憶に残るような人生をお薦めします」
ONE OK ROCKの『Deeper Deeper』の歌詞である。
日本語と英語の使い分けがとてもうまい。日本から海外に飛び立つバンドはなかなか受け入れられない傾向にあるが、彼らは受け入れられつつあるから素晴らしい。
人の死に触れることによって感じることが様々ある。
前回の記事で自分の葬式について触れているが、人の死の刹那的な部分にはどこか美しさというものを感じた。
のらりくらりと人生を歩んでいると何を目的に生きているのかもわからなくなる。
目の前にある"確実に死ぬ"という事実に向かってただ時間をすり減らすだけの日々を送る。
子孫の繁栄というのが人間の本能として備わっているが、自分の生きた証を残したいというメッセージでもある気がする。
しかし、今の時代様々な形で後世に自分が生きた証を残すことができる。
こうした言葉を連ねて残す証や、映像という技術を使って残す証など豊富である。
今生きているこの環境や世界を創り出してくれた前世の人々の生きた証が今日までの我々の生活を支えてくれている。
後世に自分が生きた証を残し、その証が何かの役に立つことがあればと考える。
地球において人間ひとりの死は刹那であるが、これからもその美しい刹那は多く積もり、たくさんの発展に繋げていくことであろう。
サラバ、またいつの日か。
悲しみの果てに
なにがあるかなんて
僕は知らない
エレファントカシマシの『悲しみの果てに』の歌詞である。
宮本浩次のあの絶妙に狂気じみた雰囲気がたまらない。しかし天才的センスを魅せる時がありそのバランスがちょうどいい。
己が本当のピンチに陥った時、なんの見返りもなく手を差し伸べてくれる人を大事にしたい。
ふと最近、自分の葬式に誰が来てくれるのかと考えてしまう。
今死んでも胸張って立派な人生を歩んだと心から言えるようなものでは到底ないが、立派な人生を歩んだと死ぬ瞬間に思えばその人生は成功なのではないかと考える。
死にたくなる瞬間も人間誰しもあるはずだし、嫌なことが連続して続くとどうしても自分の人生に嫌気がさしてこのまま死ねたらなと思う。
人間どうせ死ぬんだから今死ぬ必要なくね?って安直な考えになれば不思議とあんまり死ぬ気にはならない。
どうせ死ぬんだから今まで多少なりともお世話になった人に恩返しをして死んでほしい。
いい循環が生まれそうな気がする。
サラバ、またいつの日か。
生きる術とは?クソみたいな
愛情友情押し付けんじゃねぇよ
バンドメンバーの甘いフェイスとボーカルの歌声で数々の名曲を送り出している彼らがなかなか汚い言葉を使って表現している曲であるが絶妙な汚さがたまらない。
このストレス社会を作り上げた日本で生きていくにはどうも我慢が必要らしい。
人に対して傲慢な態度を取る人間が勝ち誇れる環境にあるため、気を使えず図太い神経を兼ね備えていることがある種素晴らしい才能と化してる。
人に迷惑をかけることに罪悪感は感じないのかと常々疑問に思うのだが、何かわがままを通す瞬間は確実に誰かが犠牲となり我慢している。
その犠牲と我慢が本人が納得するほど報われることがあればいいのだがこの世の中はそうはいかない。
思いやる気持ちというのはたくさんのストレスを解消してくれるものなのだがいかんせん人間という生き物は自己中心的で自分が1番可愛いと思う人間だ。
たくさんの思いやりで溢れかえる世の中を築き上げることができれば我慢やストレスを解消できるはずだ。
人を蹴落とし、自分のためにのし上がろうとする人間の周りには必ずや誰もいなくなると信じている。
その前にストレスを溜めない体づくりをすれば全て解決できるのだが無理ですよね〜。
サラバ、またいつの日か。
あわただしい毎日ここはどこだ
すごく疲れたシロクマです
スピッツの『シロクマ』の歌詞である。
特にこれといってあわただしい毎日を過ごしてるわけではないけど毎日頑張っている社会人をシロクマに例える辺りが可愛いセンスだと感じる。
CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-(期間限定盤)[3CD]
- アーティスト: スピッツ
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https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%9E/538226862?i=538227056&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
至極くだらない世の中で確かな手ごたえを探し続ける毎日に嫌気がさしてきた最近である。
何かを考えようと考える時間が無駄に思える。
いい加減なことを考えてる時間が割と楽しかったりする。
そんなカオスな日々を穴埋めするかのように一昔前のドラマやバラエティに手を出している。
最近のテレビはあまりにも規制が激しいため映せるものが本当に限られてしまっている。
自分が幼かった頃に画面に映し出されていた世界はいい意味でハッチャケているものばかりであった。
制作側も楽しんでいるし演者も楽しんでるのが視聴者にも伝わってくる。
そんな中、極々一部のクレーマーが質の悪いクレームを自分のストレスのはけ口のように制作側に申し立てそれを間に受けたテレビ局が自己を苦しめるような規制をかけていく。
この一連の流れが繰り返し行われていき、今のテレビの腐敗具合が如実に現れてしまう結果になったのだ。
チャンネルという選択権は視聴者側にあるのだからそれを大いに行使すればいい。
今一度視聴者は自分の意見を世間と照らし合わせてから申すべきではないかと考える。
画面の向こうで映るものがストレスや嫉妬に繋がってしまうのなら別の娯楽に浸ればいい話。
そこにおいて芽生えた怒りの感情をクレームという形で申すのはお門違いだ。
制作側も視聴者をバカだと思い作るべきだ。
テレビはなんてったって娯楽なんだから。
ごっつええ感じ 子ども相談室 https://youtu.be/zRX2-xJklWA
これほんと面白いから観て。
サラバ、またいつの日か。
「生きてるだけで悲しいと思うのは私だけなの?」
Aqua Timezの『Velonica』の歌詞である。
年内解散が発表されているAqua Timezだが様々な名曲を世に送り出してくれた素晴らしいアーティストである。そんな中チョイスしたこの曲はバイオハザードのキャラから思いついたらしい。感性の豊かさに驚かされる。
執筆する題材がないほど私生活での出来事が薄っぺらい日々である。
様々な人生の形がある。
普通の幸せを追い求める人間はおおよそ結婚して子供を授かり、成長を見守り続け孫が誕生し、たくさんの人に囲まれながら息を引き取るプランが理想的である。
果たしてこの流れが本当の幸せなのかと。
人の幸せの形は多様にある。
上記で述べたプランはあくまで一般的な流れであり最も幸福と感じるものであると研究されていた気がする。これに関してはどこかで見た記憶程度のものであるのであしからず。
知り合いの方で長い間愛人関係を保っているお方がいる。
その人は今の形が最も幸せと感じているため何不自由ないと満足そうだ。
危険な間柄ではありながら己が幸せと感じるのであればどんな形であろうと続ける権利はあると思う。
ただその幸せは他人に迷惑をかけていないか?
周りの人が不快になっていないか?
ほんとうにその形で大丈夫なのか?
いろんな意味で今現状幸せと感じている人々は自惚れて人に迷惑をかけていないか今一度考えてほしい。
ここに幸せな人を見るだけで不快と思う人間がいるからだ。
とたまに理不尽な考え方をしてしまうがこの間浴衣を着たチャラけたカップルに通りすがりに容姿をバカにされたためこんなことを考えてしまった。
そのぐらい書くネタがないのだ。
許してくれ。
サラバ、またいつの日か。